※カテゴリに「本」を追加しました!!!
こんにちは!!リンクスの石井です

ATTTSUUUUUUUIですね!!!アトゥイヨ…。


「最近、冒頭『暑い』しか言ってないなお前。もっと捻り聞かせろよfxxk」と
先日友人に言われたのでそろそろなんか別のこと言いたい。
・・・と思ったけどなーんも浮かばないからしばらくはこの暑さについて言及していきたいと思う、そんな思春期です。
じゃかぁしいんじゃコルァ
さあてそんな中でもリンクスはATSUATSU営業中!!!


ここらへんの文章もマンネリ化が指摘されているところです。
今日は午前トライアル!!午後リフレッシュ!!!
ここら(ry
午前!!トライアル!!



k(ry
今日は利用者さん少なめなんで、分業もいつも通り、、、とはいきません!!
人数が足りないならどうすればいいかしっかり考えておりますね!!
随所に工夫が見られて、いいチームワークです!!
午後!!リフレッシュ!!!


いいですね!!!!散歩はしばらくきびしそうですね。。。
そんなかんじです。
前々からずっと読みたいと思っていた本がAmazonで入荷待ち状態だったんですが、
昨日それがようやく届いて、早速読み始めております!!!
まだ50ページだけど、唸る内容・・・・。
気持ちが昂ぶったので、まだ読み始めですが感想書きます!!!
[読む理由と、ここまでの感想]

「この本を読むべきではない」
そういう気持ちになる方がいらっしゃるのもよくわかります。
あの事件を思い返すだけで、とても胸が苦しくなる。
でもこれは、特に福祉に携わる者は、読まなければならない。
犯罪や問題と言われるものの多くは、その時々の世相を反映しています。
今の日本は
「女性、マイノリティ、障害者、平社員などの社会的弱者 VS 男性、マジョリティ、健常者、権力者などの社会的強者」
ってのが大きなトレンドですよね。(課題とも言えますが)
このトレンドに至った背景としては、
・社会的弱者が昔のようにただ郷に従っているだけでは幸せになれないから
・SNSの発達などにより、そうした声を拾えるように(封殺されなく)なったから
などが考えられると思います。
話は戻りますが、
2年前の7月26日、相模原で痛ましい殺傷事件が起こりました。
障害者19人を殺害し、27人を負傷させるというとても凄惨な事件。
単独で凄惨な事件を起こし、犯行後もいまだに
「自分は間違っていない」という主張を続ける、
植松聖(さとし)被告。
「障害者は死ぬべきなんだ」
この事件に対して、
この主張に対して、
あなたは「強くはっきり」「間違ってる」と反論できますか?
[記者・やまゆり園の職員と植松被告とのやり取り]
(「障害者は死ぬべき」という植松被告の主張に対して)
「ダメだよ」
『なぜ?理由は?』
「ヒトラーと同じ考えだ」
『ヒトラーとは違う。彼はただの選民思想で間違っている。ユダヤ人は殺すべきではない。戦争も反対だ。障害者は血税を貪るだけだ。生きている価値など無い』
「法律が許さない」
『法律が間違っているんだ、変えなければならない』
「人間は誰だって幸せになる権利がある」
『人間が幸せになる上で、心を失ったもの(障害者)は必要ない』
「障害者にだって心(感情)はある」
『心とは自己認識(自己紹介)ができるかどうか。感情は花にだってある』
・
・
・
まだ読み途中ですが、植松被告の主張はこんな感じです。
「正義の反対は悪ではなく、また別の正義」という言葉がありますが、
この事件は彼の強烈な「正義」に基づいて行われたものだということがわかります。
ここまで考え方が違うのか。と、ある種の絶望を感じました。
彼はもちろんとても強い「悪」ですが、
なぜ「悪」なのか、どこが「悪」なのか。
福祉関係者として失格かもしれませんが、
彼を改心させるような反論をできる自信が、今の私にはありません。
もちろん強く「No」を突きつけることはできます。それは当然です。
また、今回の事件で暴かれた「悪」は、彼の存在だけではありません。
殺害された障害者の名前は誰1人としてニュースで公表されませんでした。
なぜでしょうか?他の事件でそんなことはないのに。
「なんかヤバいやつがたくさん障害者を殺した」
そんな形で終わらせて、片付けてしまってないでしょうか?
この事件はまだまだ未消化です。
起きてしまったことをやり直すことはできません。
ですが、そこから学び、次へ活かすことで
同じような痛ましい出来事を、次なる植松被告を、
生み出さなくすることはできます。
悪知らずして正義語れず
殺害された障害者の名前が公表されないのもそうですが、
障害者の頑張る姿をカメラに納めて全部美談化して片付けるテレビも、
障害者雇用が遅々として進まないのも、
「障害者」という括りも、
すべて植松被告の「悪」の薄まったものに他なりません。
低濃度の「悪」が蔓延っているんです。
ではその「悪」とは何なのか。根っこは何だ。なぜ「悪」なのか。
「悪」を知る手がかりを得た上で、
自分の正義をもっと磨き、もっと貫いていくため、
これからもっと熟読していきたいと思います。
そんなかんじです。
考えさせられる本なので開始わずか数十ページにして感想を書き出すという
せっかちプレイ。
ちなみによく大きな事件や事故があった時に
「〇〇を風化させてはならない」ってのがあると思うんですけど、
そんな言い方じゃ風化してくと思うんですよね。
事件や事故そのものも、もちろん大事です。
胸が痛くなる想いもしただろうし、当事者の心には深く刻みつけられたでしょう。
ですが、事件や事故の記憶ってのは、
当事者以外の、
直接関わっていない人の記憶からは確実に風化していきます。
じゃあどうすればいいか。
事件や事故を風化させずに後世に伝えていくには、
それを自分ごとにさせなければいけません。
事件や事故を自分ごとにしてもらうには
「あなたもそうなるかもしれないよ」と
伝えていくのが大事です。
つまり、事件事故を風化させたくないのなら、
「事件事故で得た学びや心掛け」をもっと伝えていくべきなんです。
特に最近は事件や事故の学びをありもしない事実とないまぜにした上で良いように作って
批判や政策提言の材料にする政治家や思想家なんかも多くいます。
事件事故の経験が好き勝手に使われているのです。
ですので、こうした事件事故の後には一度みんなで、
「何を学び、今後同じようなことが起きないようにするにはどうすべきか」
についてじっくり議論していった方がより良い未来になってくと思うんです。
相模原の事件ではこの議論が圧倒的に足りていません。
本書を読了した後、このブログにまとめたり他のメンバーと話したりしながら、
リンクスとしての解を出して、
学びと心掛けをどんどん発信していければと思います。

こんにちは!!リンクスの石井です


ATTTSUUUUUUUIですね!!!アトゥイヨ…。



「最近、冒頭『暑い』しか言ってないなお前。もっと捻り聞かせろよfxxk」と
先日友人に言われたのでそろそろなんか別のこと言いたい。
・・・と思ったけどなーんも浮かばないからしばらくはこの暑さについて言及していきたいと思う、そんな思春期です。
じゃかぁしいんじゃコルァ
さあてそんな中でもリンクスはATSUATSU営業中!!!



ここらへんの文章もマンネリ化が指摘されているところです。
今日は午前トライアル!!午後リフレッシュ!!!
ここら(ry
午前!!トライアル!!




k(ry
今日は利用者さん少なめなんで、分業もいつも通り、、、とはいきません!!
人数が足りないならどうすればいいかしっかり考えておりますね!!
随所に工夫が見られて、いいチームワークです!!
午後!!リフレッシュ!!!



いいですね!!!!散歩はしばらくきびしそうですね。。。
そんなかんじです。
前々からずっと読みたいと思っていた本がAmazonで入荷待ち状態だったんですが、
昨日それがようやく届いて、早速読み始めております!!!
まだ50ページだけど、唸る内容・・・・。
気持ちが昂ぶったので、まだ読み始めですが感想書きます!!!
[読む理由と、ここまでの感想]

「この本を読むべきではない」
そういう気持ちになる方がいらっしゃるのもよくわかります。
あの事件を思い返すだけで、とても胸が苦しくなる。
でもこれは、特に福祉に携わる者は、読まなければならない。
犯罪や問題と言われるものの多くは、その時々の世相を反映しています。
今の日本は
「女性、マイノリティ、障害者、平社員などの社会的弱者 VS 男性、マジョリティ、健常者、権力者などの社会的強者」
ってのが大きなトレンドですよね。(課題とも言えますが)
このトレンドに至った背景としては、
・社会的弱者が昔のようにただ郷に従っているだけでは幸せになれないから
・SNSの発達などにより、そうした声を拾えるように(封殺されなく)なったから
などが考えられると思います。
話は戻りますが、
2年前の7月26日、相模原で痛ましい殺傷事件が起こりました。
障害者19人を殺害し、27人を負傷させるというとても凄惨な事件。
単独で凄惨な事件を起こし、犯行後もいまだに
「自分は間違っていない」という主張を続ける、
植松聖(さとし)被告。
「障害者は死ぬべきなんだ」
この事件に対して、
この主張に対して、
あなたは「強くはっきり」「間違ってる」と反論できますか?
[記者・やまゆり園の職員と植松被告とのやり取り]
(「障害者は死ぬべき」という植松被告の主張に対して)
「ダメだよ」
『なぜ?理由は?』
「ヒトラーと同じ考えだ」
『ヒトラーとは違う。彼はただの選民思想で間違っている。ユダヤ人は殺すべきではない。戦争も反対だ。障害者は血税を貪るだけだ。生きている価値など無い』
「法律が許さない」
『法律が間違っているんだ、変えなければならない』
「人間は誰だって幸せになる権利がある」
『人間が幸せになる上で、心を失ったもの(障害者)は必要ない』
「障害者にだって心(感情)はある」
『心とは自己認識(自己紹介)ができるかどうか。感情は花にだってある』
・
・
・
まだ読み途中ですが、植松被告の主張はこんな感じです。
「正義の反対は悪ではなく、また別の正義」という言葉がありますが、
この事件は彼の強烈な「正義」に基づいて行われたものだということがわかります。
ここまで考え方が違うのか。と、ある種の絶望を感じました。
彼はもちろんとても強い「悪」ですが、
なぜ「悪」なのか、どこが「悪」なのか。
福祉関係者として失格かもしれませんが、
彼を改心させるような反論をできる自信が、今の私にはありません。
もちろん強く「No」を突きつけることはできます。それは当然です。
また、今回の事件で暴かれた「悪」は、彼の存在だけではありません。
殺害された障害者の名前は誰1人としてニュースで公表されませんでした。
なぜでしょうか?他の事件でそんなことはないのに。
「なんかヤバいやつがたくさん障害者を殺した」
そんな形で終わらせて、片付けてしまってないでしょうか?
この事件はまだまだ未消化です。
起きてしまったことをやり直すことはできません。
ですが、そこから学び、次へ活かすことで
同じような痛ましい出来事を、次なる植松被告を、
生み出さなくすることはできます。
悪知らずして正義語れず
殺害された障害者の名前が公表されないのもそうですが、
障害者の頑張る姿をカメラに納めて全部美談化して片付けるテレビも、
障害者雇用が遅々として進まないのも、
「障害者」という括りも、
すべて植松被告の「悪」の薄まったものに他なりません。
低濃度の「悪」が蔓延っているんです。
ではその「悪」とは何なのか。根っこは何だ。なぜ「悪」なのか。
「悪」を知る手がかりを得た上で、
自分の正義をもっと磨き、もっと貫いていくため、
これからもっと熟読していきたいと思います。
そんなかんじです。
考えさせられる本なので開始わずか数十ページにして感想を書き出すという
せっかちプレイ。
ちなみによく大きな事件や事故があった時に
「〇〇を風化させてはならない」ってのがあると思うんですけど、
そんな言い方じゃ風化してくと思うんですよね。
事件や事故そのものも、もちろん大事です。
胸が痛くなる想いもしただろうし、当事者の心には深く刻みつけられたでしょう。
ですが、事件や事故の記憶ってのは、
当事者以外の、
直接関わっていない人の記憶からは確実に風化していきます。
じゃあどうすればいいか。
事件や事故を風化させずに後世に伝えていくには、
それを自分ごとにさせなければいけません。
事件や事故を自分ごとにしてもらうには
「あなたもそうなるかもしれないよ」と
伝えていくのが大事です。
つまり、事件事故を風化させたくないのなら、
「事件事故で得た学びや心掛け」をもっと伝えていくべきなんです。
特に最近は事件や事故の学びをありもしない事実とないまぜにした上で良いように作って
批判や政策提言の材料にする政治家や思想家なんかも多くいます。
事件事故の経験が好き勝手に使われているのです。
ですので、こうした事件事故の後には一度みんなで、
「何を学び、今後同じようなことが起きないようにするにはどうすべきか」
についてじっくり議論していった方がより良い未来になってくと思うんです。
相模原の事件ではこの議論が圧倒的に足りていません。
本書を読了した後、このブログにまとめたり他のメンバーと話したりしながら、
リンクスとしての解を出して、
学びと心掛けをどんどん発信していければと思います。

コメント
コメント一覧
内なる優生思想というものは誰もが持ってしまうものでそれを完全に消し去るということはある意味不可能な気もしています。それで言ったら障害者の介護だって、考え方次第では私が助けて″あげている″になります。実際障害者と健常者を物理的平等に扱うことなんてできません。しかし自分の中に宿る内なる優生思想を少しでも薄めることはできると思っています。植松被告は「障害者の生産性」において線引きをしていましたが、その生産性の基準というものがあくまで植松被告からの観点でしかなかったと思います。今後自身も歳を取り、少なからず身体に不都合を抱える「障害者」になることは考えていたのだろうかとも思います。(それを言ったら彼はそうなったら自分も不必要なのでいらない、死ぬと言うのだろうか…)
身近な事件でしたので強い関心があり思わずコメントしてしまいました。長々とすみません。あと漫画全部読みましたが、これは最終的なゴールを既に決めて描いているのですか?
素晴らしいコメント、ありがとうございます!
考えさせられますよね。
本の中でも(作戦名までは明示されていませんが、)ナチスドイツが障害者を大量虐殺したことに触れられています。恥ずかしながらこの本を読むまでそうした事実を私自身は知りませんでした。。。
植松被告が起こした事件について。
たしかに、結果としては「障害者を大量に殺害した」という点においてT4作戦と全く一緒です。
しかし、本を読んで思ったのは「殺害に至った思考回路はヒトラー達の(優生)思想とはちょっと違う」ということです。
本を読んだ感想として、植松被告は障害者と健常者を同じ地続きの人間として見ておらず、別の生き物として捉えているように見受けられました。
ですので、「優生思想」というよりは「人が豚を殺して食べるのは当然」というような考え方、つまり「自分が別の生き物(重度の障害者)になどなりえない」という絶対的な前提の下、今回の犯行に至っているように見えました。
現に植松容疑者は犯行当時ヒトラーの思想やT4作戦についてほとんど知らなかったようですし、その後に方々から「ナチスドイツの思想と同じだ」と指摘され、自身で調べた上で、そうではないと本人が否定していました。
彼の思想を「優生思想のぶっ飛んだもの」と捉えるのか、はたまた「認知の歪みの激しいもの」と捉えるのかは悩ましいところです。
優生思想は認知の歪みとほとんどイコールだとは思いますが、植松被告が"人間"の中での優劣についてさほど強く言及していないところを見るに、個人的には後者の色の方が強いと思います。
身近な事件とのこと、私も障害者就労に携わる身ということもあり強い関心を持っておりました。
コメントお見受けするに、これからこの本を読もうか考えられているのではと思います。
なかなか二の足を踏む題材かと思いますがとても考えさせられる本ですので、ぜひ読んでいただいてまたお話しできればと思います。
この本は前半が記者と被告の話、後半が事件を受けて被害者の家族や精神科医の方などのコメント、となっています。
個人的には最後の精神科医の斎藤先生のコメントが今後に向けた一筋の光明足り得ると思います。
そのあたりは月曜日のブログ記事でまとめたいと思います。
P.S.
漫画はその日の思いつきで描いています!!笑
当事業所の(肩ひじ張らない)雰囲気を知ってもらいたいのと、障害者就労にちょっとでも興味を持ってもらいたくて、ヘタクソですが平日は毎日描いております!!!