こんにちは!!リンクスの石井です

やっと晴れましたね!!!気温も涼しくなって、秋本番って感じです。

さあてそんな秋本番な中でもリンクスは営業中!!!


今日は午前トライアル!!午後リフレッシュ!!!!


午前!!トライアル!!!
怪我なく安全に、かつ効率的に働くには集中力を一定以上に保っておくことが大切です!
「あ、集中力切れてるな」と思ったら、まずは一旦手を止めて、
伸びをしたり休憩を取ったりして集中力を高めなおしましょう!!


午後!!リフレッシュ!!!
リフレェェエエエエエエエ


そんなかんじです。


今日は日々の仕事から思うことをお話ししようかなあ。
いち施設長として、思うところを書きたいと思います。


精神障害について思うこと

リンクスの利用者さんは精神障害の方がほとんどです。
障害種別を絞っていませんが、
身体障害でも知的障害でもなく、なんとなーく精神障害の方が来やすい雰囲気になってるみたいですね。

利用者さんの病名はやれ「統合失調症」だの「強迫性障害」だの「うつ病」だのとありますが、
同じ統合失調症でもこの人は被害妄想がある、この人は話を整理するのが苦手など、
まさに十人十色です。
※精神疾患の種類についてはこちらの記事をご覧ください。


カテゴライズすることの危険性

最近「LGBT」が話題になってますよね。
レズ・ゲイ・バイ・トランスジェンダーそれに最近はジェンダークィアが加わって
LGBTQだとか、やれメトロセクシャルも入れるべきだなどと色々な話があります。


カテゴリー(属性)は、とても便利です。
例えば、りんごを「りんご」というカテゴリーなしに表現するのは大変です。
(「赤くて甘い、中が白くてシャリっとした果実」とでも言えば伝わるでしょうか)

さらに「果物」というカテゴリーがあるおかげで、ぶどうや梨などの食べ物と
同じように扱いたい場合に一言で表現できますよね。

表現の容易さは理解の容易さ、理解の容易さは対応の容易さに繋がります。

具体的には、例えば病気であったら「風邪」という属性の人には風邪薬を処方しようなどといった形で、
「風邪」というカテゴリーの人に対して速やかに処方ができる訳です。


このように、カテゴライズすることは、
たしかにその属性の人に対する表現・理解・対応を容易にします。

しかし、カテゴライズすることは、
その属性で「括る」「一線を引く」行為だということを忘れてはいけません。
ここにカテゴライズの危険性が潜んでいます。


カテゴライズの危険性とはなにか

障害は個性です。
私はなんども口すっぱくいってますが、
障害は個性です。

だってそうでしょう。
今、「精神障害者」とカテゴライズされている人も
昔は「なんか変なやつ」とかだったんですから。

あなたのその性格も、数年後には「障害者」認定されててもおかしくない訳です。
世界のすべての人が何かしらの「障害者」になっててもおかしくないのです。

そう。障害は個性。個性はグラデーションです。
設備要件や職務遂行能力、必要なサービスなどの観点から処置を簡易化するために
「障害者」というカテゴリーを作っただけに過ぎません。

うちの事業所にも時々、「就労移行支援」がなんなのか分かってない人が
職業相談所かなんかだと思って訪ねてくることがあります。

そこで私が「ここは障害を持った方が就職するためのサポートをする施設です」というと、
「わ…私は障害者なんかじゃありません!!」と語気荒く言い放って帰られるケースがあります。

あなたとそう変わりないんですよ。
だってあなた、初対面の私に対してそんな語気を荒げるぐらい精神的に参っちゃってるじゃないですか。
「もうちょっと聞いてきなよ」とこちらが言う間も無くこうした人は
たいてい忌避するがごとく事業所を立ち去ってしまいます。


こうしたエピソードに「障害者」と「そうでない人」の間にある
とてつもなく深い溝が見え隠れしてますよね。

ただのグラデーションなはずなのに、
「障害者」というカテゴリーがあるせいで隔たりが生まれてしまう。

もちろん、「障害者」カテゴリーがあるおかげで
障害者福祉サービスを受けられるし、障害者年金も(もらえる人は)もらえるし、
といった恩恵もたくさんあるのですが、
「別の人間だと思われてしまう」という大きな課題を同時に生んでしまっていることも
忘れてはいけません。

ここの認識を変えたい。
「障害者」というカテゴリー。そこに対する認識。
カテゴリー自体はないと色々と不便だと思う。
だけど、並行して付きまとってくる「イメージ」。
ここをゼロにしたい。そう思ってます。

「害」を「がい」とか「碍」に変えるとかは全くもって的外れ。

「障害は個性、個性はグラデーションなんだよ」っていうことさえ
みんなに伝わっていけば解決する問題なんだと思います。
これはLGBTも同じ。

「LGBT」というカテゴライズが広まったのはとても大きいと思います。
サービスや処置の簡易化のためにこのカテゴリーが非常に便利だから。
並行して付きまとってくる「イメージ」。
これをぶっ壊そう。
そのためには1人1人の「考える力」がもっと必要だ。

「全部個性、個性はグラデーション」

「そう全てはグラデーションなんだ」


どんどん伝えていきたい。



精神障害の原因

人間を形作る要素は大きく「遺伝」と「環境」にわかれています。

この要素が影響をもたらす比率は文献によって3:7だったり6:4だったりしますが、
考えるのがめんどくさいので半々だとすると、半分は環境要因なわけです。

これは経験則ですが、
発達障害を除く精神障害(以降精神障害)は概ね環境に原因があります。
家族・友人・学校や会社の人・社会・・・・

アセット 1-100
人を植物に例えると、きっとこんな感じで分けられます。
いわゆる「ジャックの豆の木」なのか「森の木々」なのか「枯れ木」なのか、
これは自分ひとりの中でも家と会社で違う木(枝)になってたりするわけです。

精神障害ってのはこの中で言うところの枯れ木状態、
つまり、外的環境から自分の意思に沿わない方向に大きな力が働いちゃった状態にあります。
伸びたい方向に向かって伸びてたのに、横からえげつないサイズの添え木が刺さってきたようなもんですね。

それは過剰労働だったり、親の影響だったり、誰かに比べられたり、いじめられたりしたことかもしれません。


この「木」の絵、別にどれがいいってわけじゃありません。
説明の簡易化のために3パターンに分けたけど、グラデーションなんで
「複数の外部の影響を受けつつもそんなの関係ねえと己の正義を貫く」といったような
中間も無数に存在しているわけです。
木は1本1本形が違うでしょ、あれと同じ

この絵から言いたいのは、
思想の押し付けが「枯れ木」を生むかもしれない、ということです。


あなたの正義は他の人の正義とは限らない

ここが分かってない人が「枯れ木」を生んでいます。

アセット 1-100

あなたが「正義」を押し付けるのは、その人に変わってもらいたいからでしょう。
「〇〇しなさい」
「〇〇してはならない」
そこが既に間違っている。

人は「変える」ものではなく、「変わる」ものだから。
よく見学や利用の相談に親御さんだけで来るケースがあるんだけど、
そういうケースで本人が利用に至った経験がない。

原因は明確だ。
その人自身にしかその人は変えられないから。
それを「変えよう」とするのであれば、あなたは「ジャックの豆の木」だ。
しかも相手を折ろうとする方の。

だから衝突する。
ぶつかって負けた方は「枯れ木」になる。
折れて無くなるか、歪な木になるか。
他の枝があればまだいい。
全部の枝を「枯れ木」にされる、それまでは。


特に若いうちから「ジャックの豆の木」に衝突されまくった人は
「枯れ木」から立ち直るのに相当な時間が必要だ。
これは精神疾患という枠組みを超えて根の部分、「性格」という領域にまで立ち入る問題だからだ。

「あなたの性格を変えてください」と言われて
「よーし明日から変えるぞ」とはなれないわけですよ。
少なくとも僕には「無理だ」って思えちゃう。

それを利用者さんにやってのけてもらおうだなんて、と思うと己の力不足を感じざるを得ない。
ここに精神障害の難しさがある。


だから精神障害者の雇用はマニュアル化できないし、
「寛解」という可能性がある唯一の障害種別だけれどもそれが困難を極める。



人は変えられない。では変わってもらうには?

「変わってもらう」、この表現ですらすでにおこがましいが、
「症状を改善する」でも「寛解する」でもしっくりこない。
ということで、相対的にマシなこの傲慢なる表現をするとすると、
(あああまどろっこしい)


背中を見せる。これしかないと今は思っています。

その人が、自分の幹に刺さった「でっかい添え木」を取れるように。

我こそが一番自由だと行動して、後押しする。

自由を見せつける。
希望を見せつける。
笑ってもらう。


今出てる最善解がこれです。
変わってもらうために、変わるきっかけを作る。
それがYoutubeであり、ブログであり、今のリンクスだ。

だから「保護者はこういうの読まないだろう」とかいう意見は全て無視だ。
本人にさえ届けばいい。本人に刺さる内容であればいい。

ちなみに本人に届けという意味で、以前
引きこもっている人の直接お宅訪問とかも考えた。でもそれじゃだめだ。
相手に「申し訳ない」という気持ちを与えてしまうし、何よりこわいだろうこんなのが来たら。

だから悪いけど、そういう人に対しては、
「来てくれ」としか言いようがない。
アンフェアな関係は新しい「添え木」を生み出すだけだ。
自分の意思で動いてもらわなければならない。

じゃあ本人に直接届き、自分の意思で動いてもらう方法は?

…だから「ネットに配信する」っていうのが一番フェアでベストな方法だと思ってやってる。


もっといい答えを持ってる人、いたら教えてください。
100万円差し上げます。



まとめ

うん。がんばる。







そんなかんじです。
思ったままを吐き出したから「ですます」と「だである」がごっちゃになってるし、
何を書いているか、伝わってるかわかんなくなってしまった。

まあいいでしょう。ちょっとでも伝われ

ということで来週頭はLINKS TV第2回!!!
ちょうおもしろい回になる予定なので、
今のうちにチャンネル登録よろしくお願いします!!!!!!

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