こんにちは!!リンクスの石井です

晴れましたね!!
昨日はどうやら爆弾低気圧だったみたいで、
なんかだるいなあと思ったけどそのせいだったかもしれませんな!!


ってなかんじで今日の一曲。

The Correspondents「Fear & Delight」

イギリスのエレクトロスウィングデュオ、ザ・コレスポンデンツから一曲。

エレクトロスウィングといえば以前紹介したキャラバン・パレスが有名ですが、
コレスポンデンツも高い評価を受けているバンドです。

現代のエレクトロと一世紀前のジャズとの融合、
クラシカルであり現代的でもある非常にオシャレなかんじです。

音楽性もそうですが、PVの出来も紳士然としていて
This is イギリスって感じがとても好感持てます。

ってなかんじでコレスポンデンツ、ご一聴あれ!!!



ってなかんじで今日もリンクスは営業中!!!

今日は午前PC!!午後就活準備!!!

午前!!PC!!!
集中しております!!!


午後!!就活準備!!!
色々やっとります!!!



そんなかんじです。
先週末、私がリスペクトする斎藤環先生のシンポジウムがあったので、
そちらの内容と感想をまとめようと思います!!

「ひきこもりの時代、平成を振り返る」
[式次第]
第1部「支援者・研究者の立場から」
講師:斎藤環先生、石川良子先生

第2部「当事者の立場から」
講師:木村ナオヒロさん、林恭子さん、ぼそっと池井多さん

第3部 パネルディスカッション
講師によるトークセッション

[内容について(※副題は石井が勝手につけたものです)]
第1部
斎藤環先生

「ひきこもりとその支援のあり方に対する先生の考え方の変遷」

-斎藤先生の変遷-
<80年代>
故・稲村博先生に師事。
ひきこもりや不登校などの前称となる「思春期挫折症候群」は稲村先生が名付け親。
「稲村先生はひきこもりを多数同じ精神病院に強制入院させたことなどで問題となった人だが、
(ひきこもりや不登校に関する支援のあり方の提起という意味では)一部先見の明があった。」

<90年代>
「ひきこもり」という言葉が生まれる。
ひきこもりの定義を明確化することに携わった。
また、ひきこもり支援の流れを
「家族支援→医療支援→デイケアなどの支援施設」とする、
現在の基礎的な考え方の部分を作った。

<00年代>
ひきこもりが世間に認知される。
00年代後半には「ニート」という概念も認知されるようになる。

<11~13年>
ひきこもり当事者からの発信が行われ始める。
13年に精神疾患やひきこもりの治療(医師という立場なのでこの表現)に効果があるとされる
「オープンダイアローグ」という概念を日本に持ち込む。

<昔の先生の考え>
「就労こそがひきこもり支援に置けるゴールだ」

<ちょっと前までの先生の考え>
「就労を持つことをゴールとすべきではない。対人関係を持つことがゴール」

<今の先生の考え>
「ゴールを持つべきではない。対話で"余白"を作り、自発性や主体性を回復することが大事」






石川良子先生
「自己紹介と考え方の変遷」


-石川先生の変遷-
調査者として松山大学でひきこもり当事者と度重なる対話を重ね、
ひきこもり研究を続けている。
「ひきこもりの<ゴール>-『就労』でもなく『対人関係』でもなく-」という著書を持ち、
タイトルの通り、斎藤先生の当時の考え方に対するアンチテーゼを呈した。

ひきこもり支援には周りの聞く耳を育てることが必要だという考えの下、
研究を続けている。

当初は「共感をしなければ」「同調しなければ」という
「〜しなければならない」に縛られていたが、
それは自分に正直ではなく当事者にとって不誠実な対応だと考え、
現在は共感を手放してフラットに話すことの方が良いと考えている。



第2部
木村ナオヒロさん


「自己紹介と来歴」
ひきこもり経験10年の、元ひきこもり。
浪人・大学在学中にひきこもりになる。

その後、メディアのひきこもりに対する報道が
偏っていることに憤りを感じ、それを形にすべく
専門学校で出会った人とともに「ひきこもり新聞」を発行している。


林恭子さん

「自己紹介と来歴」
高校から不登校に伴いひきこもり、その後20代半ばで再びひきこもる。
当事者会や良い精神科の先生との巡り会いを通じて
自分と同じ経験をしている人が多くいることに気づく。

現在はひきこもりや発達障害、セクシャルマイノリティの人たちの
クリエイティブ集団「ひきこもりUX会議」の代表理事を務め、
マイノリティの発信に力を入れている。



ぼそっと池井多さん
「自己紹介と来歴」

家庭内の不和からひきこもりになり、
精神科を受けるもそこの先生が洗脳的な人で、
反論をした池井多さんは「悪い患者」として扱われる。

先生や転移して(=洗脳を受けて)しまった患者らに迫害される中、
この事態に反撃の一手を打つべく「ぼそっとプロジェクト」を起案。
治療者からの検閲を受けない当事者の声として発信をしはじめ、
その後「HIKIPOS」「ひきこもり親子対論」と活動を移し、活躍されている。





[シンポジウムを聞いた感想]
就労支援というものの果たすべき役割について深く考えさせられました。

「ニート」という言葉が出てから
「ひきこもりは甘え。怠けている。働かなければならない」という認識が世間で広まり、
就労支援というものが活発化していきました。
私のやっている就労移行支援事業という仕事も、その流れから生まれているものです。

しかし、登壇された方は皆、
この「ひきこもりのゴール=就労」という認識がそもそも間違っているという話をされました。
私もそうだと思いました。
自分の仕事との間に大いなる矛盾を抱えたまま。


最後の質疑応答で当事者の方から登壇者の方達へ、こういう質問がありました。

「私はトータルで10年ぐらい社会参加していません。最近思うのは、ひきこもりがどうこうと言うよりも日本のメインストリームの社会システムが狂っているということです。こうした社会システムへ戻ることを"回復"というなら私は一生回復しなくてもいいと思っています。私たちが考えなければならないことは、この狂った社会システムから離脱したい人たちがゆるく繋がり助け合えるネットワークを作るということです。こうしたネットワークはないのでしょうか?作れないものでしょうか?私の考えは間違っているでしょうか?」(一部省略)

間違っていない。そう思いました。
登壇された方も、そう仰っていました。
「就労=クソ社会への還流」のような表現もされていました。

私が今やっていることは果たして何なのか。
その人の幸せの為になっているのか。
ますますわからなくなりました。

そんな中で、かろうじてこう思いました。


就職は、ひきこもりの人が幸せになるために取りうる手段のひとつに過ぎません。

ですので、頭ごなしに「就職せえよ」と言う就労移行支援はあまりにも不誠実です。

いくら就職を志す人が通う施設といっても、
本当にその人が就職という手段で幸せになれるのかはわからないのですから。
通所をする前に、そもそも選択の余地があることに気づかない人がたくさんいると思います。

「ひきこもりのゴール=就労」思想の人に言われて。
もしくは自身が同様の既成概念に染まって。
イヤイヤ通所し、イヤイヤ就労し、心が付いて行かず
壊れてしまう可能性があります。

これからの就労支援施設に求められるのは
「居場所」としての機能と、就労以外にも選択の余地があるのを提示していくことだと感じました。
就労支援施設としては大きな自己矛盾ですが、
当事者の将来を就労一本だと思い込ませながら支援することはとても不誠実だと思います。

福祉サービスの隙間に、零れていく人たちがいます。
そんな人たちがいなくなるよう、できることの裾野を広げていきたい。
制度が全然追いついていない現状で、とても厳しいことですが、
何とか頑張っていきたい。
そう思いました。







そんなかんじです。

「ひきこもりや困っている人を助けたい」という気持ちで立ち上げた就労移行支援事業所だったので、
すんごい考えさせられました。

当事者や支援者の言葉などをどんどん掬って、
「あるべき姿」にどんどん近づけて、
もっと良いサービスを提供できるように頑張ってきたいですな!!


ってなかんじで今日もお疲れちゃんでした!!