こんにちは!!リンクスの石井です

夏も終わりですね!!
と思ったけど日本の夏、年々伸びててこの暑さはだいたい10月上旬ぐらいまで続くんでしたな・・・。
失念失念・・・!!


ってな感じで今日もリンクスは営業中!!!

今日は午前運動からのPC!!午後レク!!!


午前!!運動!!!
有酸素とヨガやっております!!!


PC!!!
集中しております!!!


午後!!レク!!!
きょうは
「あやつり人形」
ゲーム_210831_3



「はっきよいゲーム」
ゲーム_210831



「ハゲタカのえじき」などやっておりますね!!!

はっきよいゲーム、カジュアルでいいですね!!
酔っぱらったときとかにやってみるのもよさそう



そんなかんじです。
きょうはニュースから。


自立支援センターの方などがパラリンピックの開催に反対されてるみたいです。

みなさんはパラリンピックの開催について、どう思いますか?
難しい問題ですよね。

そもそも今回がコロナ禍における開催ということで、
正直なところ、オリンピック自体が賛否両論の中開催されました。

しかしながら国際政治の観点や、このコロナ禍がいつ終わるかわからないという
不確実性の高い未来を鑑み、半ば強行開催されたという背景があります。
個人的な推測としては、「コロナ禍が収束するまで延期する」という判断が
日本の外交力ではできなかったのではないか、というのがあります。

コロナ禍において開催することに関しては私もこちらの方たちと同意見で、反対です。
パンデミックのリスクを負うことにほかならず、
国民が止む無く自粛活動している中で国際イベントを行なうのは
国民の努力を無駄にしているようなものだからです。

ただし、「障害者を見せ物にしている」という表現については、
いささか古い考え方な気がします。

たしかに、パラスポーツはまだ歴史が浅く、
今の「オリンピック後にパラリンピックをやる」という
スタイルが定着したのも2000年のことです。

加えて当初は「リハビリテーションのためのスポーツ大会」のようなニュアンスで開催されていたこともあり、
スーパープレイや凄まじい鍔迫り合いなどで感動を与えるというよりも
「障害を持った人が頑張っている」というお涙頂戴な方向で人々に感動を与えていました。

しかし、競技性が発展し、規定がよりしっかりとしたことによって、
パラアスリートと呼ばれる練度の高い選手たちが近年では活躍するようになりました。
競技性も高く、中には健常者ではできないような凄まじいプレイで魅せる選手もいます。

たとえば卓球では、エジプトのイブラヒーム エルフセイニ・ハマドトゥという選手が
とても独創的ですばらしいプレイをしました。
彼は両腕を失っており、ラケットは口で咥えて持ちます。サーブは右足でトス。
顎や首の力の強弱で球の回転や強弱・方向をコントロールし、キレのいい球を打ちます。
彼にしかできない凄まじいパフォーマンスを見ると、見ている側も興奮し、感動します。
これをスポーツと呼ばずして何と呼ぶのでしょう?

競技会を「男性」「女性」「障害者」の部で分けているのは、
その物理的身体能力に差があるからであって、見た目の違いから分けているわけではありません。
それぞれ、その身体能力のもと生み出されるスーパープレイや鍔迫り合いが人々に興奮や感動を与えます。だからスポーツはすばらしいし、これを「見せ物にしている」と考えるのは、真摯にパラスポーツに取り組んでいる人からすると逆に失礼なのではないでしょうか?

コロナ禍で開催されてしまったことについてはとても残念です。
でも始まってしまったことなので、選手たちを応援していきたい。
この日のために頑張り続けてきた選手が、たくさんいます。