こんにちは!!リンクスの石井です
寒いですね!!
あしたはけっこうなドカ雪の予報らしく、
交通機関がマヒしやしないかとひやひやしております。
ってな感じで今日もリンクスは営業中!!!
きょうは午前作業からの座学!!午後レク!!!
午前!!作業!!!
集中しております!!!
座学!!!
きょうは「効果的な訓練をするために」の第1回として「自己理解と自己受容」のお話をしました!!
まずは己を知る
やってきましょう!!!
午後!!レク!!!
きょうは「アンユージュアルサスペクツ」「イッツアワンダフルワールド」「ワードウルフ」「カタカナーシ」をやりました!!!
イッツアワンダフルワールドは私のお気に入りゲームの一つなんですが、
サクッとできる上にゲームが絶妙に短くて、
「ああ!もう1ラウンドほしい!」という気持ちに毎回させてくれます。
おすすめちゃんよ
そんなかんじです。
きょうはニュースから。
障害者について発信するメディアのあり方についての記事。
「24時間テレビ」のようなお涙頂戴方式の番組については以前も取り上げましたが、
今回はそのような意見から大学生が動画を制作したという話ですね。
発信の仕方に「完全な正解」は存在しないと考えます。
「発信する」という行為自体、無数にある情報の中から一部を切り取ることであり、
その時点ですべての情報を伝えられていないからです。
つまり、発信すること、シンプルにすること、「障害者」のような言葉で大きく括ったりすることなどは
言い方を変えると細部を捨て、完全な正解でなくしていることとも言えます。
では、発信することの意味とは?
それは、なんらかのメッセージ性を持たせ、
人々の行動を変容させることにあるのではないでしょうか。
かくいう私もこのブログを通じて当事者・支援者の方や普段福祉との接点がない方などへ
現場の実情やリンクスの様子を知ってもらおうと思って発信しております。
行動の変容っていうと大げさだけど、通所や寄付、広くは思いやりについて
一緒に考えていきたいなあと思ってます。
大いなる力には大いなる責任が伴う。
テレビなどの大規模メディアは多くの人の行動を変容させる力を持っています。
加えて最近はアレルギーのようにメディアでのちょっとした言動が炎上になってしまうから、
テレビは特に表現に気を付けないといけません。
って考えると、テレビで障害者に関する発信をしたとき、
いい意味で雑に取り扱えないところが
ああいう感動物語縛りみたいな現状を生み出しているのかもしれませんね。
あと、24時間テレビは番組の中心に健常者がいて、その中で障害者をトピックスとして扱っているから
ああいう腫れ物に触るような構成になっちゃうんだと思います。
「ひでえもんだ」と思いつつも、
現実には番組に集まった寄付で送迎車両を調達できた施設も少なくありませんし、そもそもああいう番組がなければ障害者福祉について考える機会など普段まったくないという人も多いと思います。
24時間テレビも間接的には力になっているということを忘れてはいけません。
ということで、アプローチ方法が良くないのは知ったるところですが、
「なくなってしまった方がいい」というのはいささか早計だと思います。
テレビの健常者中心番組で発信できる「障害者」は
24時間テレビがその限界なのかもしれません。
当事者サイドに立った発信というのは「バリバラ」がその役目を担っていると思います。
ということで、もっとたくさんの人にバリバラの存在を知ってもらいたいですね。
障害者の数は年々増えており、15人に1人ぐらいは何らかの障害を持っているともいわれます。
マイノリティとの共生が叫ばれる昨今、双方からの発信を受けつつ行動をしていきたいですね。
寒いですね!!
あしたはけっこうなドカ雪の予報らしく、
交通機関がマヒしやしないかとひやひやしております。
ってな感じで今日もリンクスは営業中!!!
きょうは午前作業からの座学!!午後レク!!!
午前!!作業!!!
集中しております!!!
座学!!!
きょうは「効果的な訓練をするために」の第1回として「自己理解と自己受容」のお話をしました!!
まずは己を知る
やってきましょう!!!
午後!!レク!!!
きょうは「アンユージュアルサスペクツ」「イッツアワンダフルワールド」「ワードウルフ」「カタカナーシ」をやりました!!!
イッツアワンダフルワールドは私のお気に入りゲームの一つなんですが、
サクッとできる上にゲームが絶妙に短くて、
「ああ!もう1ラウンドほしい!」という気持ちに毎回させてくれます。
おすすめちゃんよ
そんなかんじです。
きょうはニュースから。
障害者について発信するメディアのあり方についての記事。
「24時間テレビ」のようなお涙頂戴方式の番組については以前も取り上げましたが、
今回はそのような意見から大学生が動画を制作したという話ですね。
発信の仕方に「完全な正解」は存在しないと考えます。
「発信する」という行為自体、無数にある情報の中から一部を切り取ることであり、
その時点ですべての情報を伝えられていないからです。
つまり、発信すること、シンプルにすること、「障害者」のような言葉で大きく括ったりすることなどは
言い方を変えると細部を捨て、完全な正解でなくしていることとも言えます。
では、発信することの意味とは?
それは、なんらかのメッセージ性を持たせ、
人々の行動を変容させることにあるのではないでしょうか。
かくいう私もこのブログを通じて当事者・支援者の方や普段福祉との接点がない方などへ
現場の実情やリンクスの様子を知ってもらおうと思って発信しております。
行動の変容っていうと大げさだけど、通所や寄付、広くは思いやりについて
一緒に考えていきたいなあと思ってます。
大いなる力には大いなる責任が伴う。
テレビなどの大規模メディアは多くの人の行動を変容させる力を持っています。
加えて最近はアレルギーのようにメディアでのちょっとした言動が炎上になってしまうから、
テレビは特に表現に気を付けないといけません。
って考えると、テレビで障害者に関する発信をしたとき、
いい意味で雑に取り扱えないところが
ああいう感動物語縛りみたいな現状を生み出しているのかもしれませんね。
あと、24時間テレビは番組の中心に健常者がいて、その中で障害者をトピックスとして扱っているから
ああいう腫れ物に触るような構成になっちゃうんだと思います。
「ひでえもんだ」と思いつつも、
現実には番組に集まった寄付で送迎車両を調達できた施設も少なくありませんし、そもそもああいう番組がなければ障害者福祉について考える機会など普段まったくないという人も多いと思います。
24時間テレビも間接的には力になっているということを忘れてはいけません。
ということで、アプローチ方法が良くないのは知ったるところですが、
「なくなってしまった方がいい」というのはいささか早計だと思います。
テレビの健常者中心番組で発信できる「障害者」は
24時間テレビがその限界なのかもしれません。
当事者サイドに立った発信というのは「バリバラ」がその役目を担っていると思います。
ということで、もっとたくさんの人にバリバラの存在を知ってもらいたいですね。
障害者の数は年々増えており、15人に1人ぐらいは何らかの障害を持っているともいわれます。
マイノリティとの共生が叫ばれる昨今、双方からの発信を受けつつ行動をしていきたいですね。
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